ごあいさつ
代表の古賀 郁朗です。
屋台割烹こうらくは
キッチン付きレンタルルーム
「キッチンスタジオ幸楽」
にうまれかわりました。
皆様のご利用を
お待ちしております。
マスターの略歴
私は高校時代ラジオ番組の
プロデューサーを
目指し大学では放送部そして、目指すは放送局!
しかし、大学4年の時、父親が
急病で、やむなく店を手伝う
ことになりました。
業界への就職はあきらめ
知人の調理師のアドバイスで
大学卒業後、辻調理師専門学校
に入学 1982年調理師免許
を取得しました。
その当時、幸楽に在籍していた
調理師の方々から指導うけ
他流試合でホテル・居酒屋など
の調理場でも腕を磨き着々と
経験を積んでいきました。
デイケア施設の給食で
1日80人いう大量調理を3食を
一人で作ったこともあります。
2001年、幸楽は業績不振と
居ぬきでの借り手が見つかった
ことがきっかけで
閉店することになりました。
調理師でどこかに再就職が
普通ですが、知り合いの花火師が
「調理師にさせとくには
もったいない」とその方の紹介で
山梨「花火のマルゴー」に席をおきました。
花火師ですが、花火玉を
作っているのでなく
花火の打揚げと構成を施主に
提案するというまさに
プロデュースの仕事でした。
学生時代からずっと目指していた
プロデュースのお仕事に
花火という題材で関わるように
なりました。
なぜすぐに花火師になれたか?
大学卒業後、 調理師になったあとも
プロデュースの仕事に未練が
あった私はボランティアで
第1回平成淀川花火大会の立ち上げ
に絡みました。
花火の企画を10年担当し
そのおかげで本職並みのスキルを
得ていました。
花火師4年間の仕事を経て
「花火をブライダルの商品に」
という会社に移籍し4年。
花火大会立ち上げの業績から
阪神電鉄にイベントプロデューサー
として引っ張られ
阪神電鉄の子会社に籍を置き
阪神駅前イベントを4年間
企画・立案・施工しました。
その間、調理の仕事は離れては
いましたが、趣味として料理には
常に触れていました。
お店をやめたとき、調理の世界とは
縁を切ったつもりでした。
でも、一番長い経歴で料理の面白さを
知った人間は簡単には捨てられません。
2017年「屋台割烹こうらく」で
幸楽を再開。
2021年「キッチンスタジオ幸楽」
オープン
調理師に復帰し現在に至ります。